私が開院した理由

はり治療との出会い

初めてはり治療と出会ったのは、小学5・6年生の時だったと思います。
私は少年野球でピッチャーをしていました。

 

1試合で140球も

しかし、とてもコントロールの悪くて毎試合球数が多くて
みんなに迷惑をかけていた選手でした。

ある試合でフォアボールを何人出したか覚えていないくらい出した試合があって
試合の後聞いたら、その1試合で140球近くも投げていました。

試合終了後、もちろん疲労困憊、疲れ切っていた私はケアもせずに帰宅後
いつもより早めに床に就きました。そして次の日の朝、肘が痛くなり
投げる事も腕を上げる事もできなくなってしまいました。

今考えれば当然と言えば当然で、その程度で済んで良かったのかもしれません。

直ぐに病院にも行きましたが、数日たっても痛みは引かず
「治らない・・・!?治すには手術とかなのかな!?」と思い
不安で不安で本当に辛かったのを覚えています。

 

わらをもすがる思いで、はりきゅう院へ

そんな時、隣町にスポーツ選手が通うはりきゅう院があると
両親が情報を入手してきました。

わらをもすがる思いで早速行ってみました。

そこには当時活躍していた、プロ野球選手のサインがびっしり!!
「こんな所に〇〇選手が来てるの!?」とビックリしたのを覚えています。

そして、いざ治療・・・触ったり、先生が私の肘を動かしたりして
確認をした後に肘の周りに数本のはりを刺しました。

そのまま数分横になっていて治療が終わりました。
「えっ!?それだけ?もう終わり!?」と、思っていると
先生が「投げてみて」と言いました。

「えっ!?」先生の一言で恐る恐る投げてみると、痛みが消えていました。
「あっ!?全然痛くない!」嘘のような瞬間でした。

これが痛くて辛い日々から救ってもらったはりとの出会いでした。

 

この道を選んだきっかけは“大きなケガ”から

私は、学生の頃は勉強は一切せずに運動ばかりやっていました。

中学の時はバスケットボール部で、下都賀地区の選抜選手に選ばれました。
高校と大学ではラグビーをやっていて、高校の時は、栃木県選抜にえらばれ
国体代表になりましたが予選敗退。しかし、年末の全国大会通称「花園」には、
チームメイトにも恵まれ出場しました。

その中で、捻挫や打撲などのケガはいくつもありました。
その度に、はりには幾度となく助けてもらっていました。

細かなケガはありましたが、大きなケガもなく大学生になり部活の毎日を
過ごしていましたがその痛みは突然訪れたのです。

 

腰椎分離症がきっかけに

なんとなく数日前から腰に違和感を覚えていました。
それでも、「まぁ、ちょっと疲れているだけかな」と甘く見ていたんです。

そしてその日は来ました。

朝起きると同時に腰が痛くて起き上がるのがやっとでした。
そしてその腰の激しい痛みは、日に日に増して、起き上がれない時も
ある程のものでした。

大学卒業後に病院で検査をしたところ、「腰椎分離症」と診断されました。
大学のチームには医療に関わる人間がいなかった為直ぐには病院には行かず、
ごまかしながら練習をやったり休んだりして続けました。

 

スポーツトレーナーになるという目標

そんな中思った事は、

「スポーツトレーナーとかいてくれれば良いのにな。そうすれば、診てもらえるし
相談もできたのにな・・・」

その考えはどんどん増していき、いつからか
「そうやって選手の手助けをする仕事も面白そうだな・・・」
「やってみたい。選手が満足いくプレーをできるようにサポートしたい」
という思いに変わり、私の目標になりました。

大学2年生のころから、母校が全国大会に行く時に大会中の臨時コーチとして
同行していた事もあり、現場を多く体験する事ができました。

なのでトレーナーと言う仕事は私にとってとても身近な物だったので、
私の中にすっと出てきやすかったのかもしれません。
学生のうちに、選手側とサポート側を体験できた事はとても大きかったと思います。

 

マッサージ店での修行とはりきゅうの国家資格取得

そんな思いを胸に、大学を卒業後はりきゅうマッサージの資格を持つ先生の所で
マッサージの勉強をしました。

この先生は、指一本で治療をしてしまう先生でした。関東でも有名で、
東京や神奈川からも受けに来ている方もいるくらい知る人ぞ知るお店でした。

その先生の考えは数をこなすのではなく、1日5~6名までと決め
1人1人の患者さんに対して治す事を目的にやっている先生でした。

それを見て私もこんな治療家になりたいと思い必死で付いて行きました。

その先生の言葉で、
「普通の人が診られないのにスポーツ選手を診られる訳がないだろう」
この言葉は、治療家として今でも私の基本になっています。

3年間先生に付き勉強をした後、はりきゅうの資格を取る為に
専門学校に入学しました。

ここでは4年をかけ、莫大な量の知識と技術を身につけてきました。
2年3年時には、アメリカへ解剖学の研修にも参加。
本当に勉強に追われる毎日でした。

学生時代、スポーツに明け暮れていた私にとっては
人生で一番勉強をした期間でした。

この7年間は私の治療家としての芯になり、その後の経験や新たな知識など
色々な物がそこに肉付けされて治療に活かされてきています。

 

変わらぬ想いと、芽生えた思い

初めは、スポーツ選手を診たいと思っていました。
自分が味わった同じ思いをさせない為にスポーツ選手を診たいと思っていました。

しかし、最初にいろはを教えてくれた先生の言葉に気付かされ
視野を広く持つ事ができました。

はりきゅうの専門学校でさらなる知識と技術を学び様々な経験をしてきました。
嬉しい事、辛い事、悲しい事・・・色々経験してきました。

今は、お子様からご年配の方まで治療していきたいと思っています。
1人1人の患者さんに対して真正面から向き合い一生懸命治療させて
いただきたいと思っています。

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